公認会計士・税理士 根本 守 のブログ

私は、所属する協働公認会計士共同事務所において、日本の数多くの「非営利・協同」組織の経営や会計に関する支援業務を行ってきました。「非営利・協同」組織を今後も応援しさらに大きく広がってほしいと願う立場で、このブログにおいて「非営利・協同」の様々なことを述べたいと思います。なお、過去に事務所のホームページ等に掲載した文章も、現在でも有効と思われるものは(例えその後に法令等が改定されているものであっても)そのまま転載しています。(2019年8月)

「新しき村」を訪問して

 年末の休みを利用して車で一時間程度の奥武蔵の山にハイキングにいったついでに、「新しき村」を訪問してきた。車の通り沿いにある案内の看板を見るたびに、「新しき村」の記念館でもあるのかと気になっていて、「一度行ってみよう」と思っていたのだが、「新しき村」が現時点でもが存在し、住民が生活しており、こんなにも近くにあることに驚いてしまった。県道を5百メートルほど入り、鉄道線路を渡ったところにある「村」の入口には柱が2本立っていて、そこにはこう記されている。「この門に入るものは自己と他人、生命を尊重しなければならない。」

 「新しき村」といっても若い人たちにはなじみがうすいと思うので、簡単に解説したい。 理想主義、人道主義を掲げた白樺派志賀直哉等と立ち上げた文学者である武者小路実篤が、「理想郷の実現」という大義のために建設したのが「新しき村」である。1919年に宮崎県にまず創建し、続いて1938年に埼玉県入間郡毛呂山町の現在地に建設している。「新しき村」の村民は、「全世界の人間が天命を全うし各個人の内にすむ自我を完全に成長させることを理想」とし、農業と牧畜による共同労働を行い、共同所有、相互扶助の生活を行いつつ、自己実現に励むこととされている。
 終戦直後はほぼ崩壊状態にあったが、間もなく復活し、50名弱が村民として共同生活していた時期もあり、個人所有状態をなくすため財団法人となった。現時点の村内生活者は20名程度であるが、農業収入の低迷と村民の高齢化が進み後継者を育てることが課題となっている。なお、宮崎の「村」は現在2名が在住しているとのことである。また、村外会員が約170名存在し機関紙の発行や各種支援等をおこなっている。
 武者小路実篤は「友情」等の小説を書いた文学者であり、私が10代の頃の「必読書」であった。実篤自身は「新しき村」には6年程度しか在住せず、また、戦時中は戦争支持者にもなり、「プチブルジョアジー」としての限界は明らかであったものの、その理想は生き続け、様々な苦難があった中でも、百年近くの間良心的な人々を結集し、営々と活動が続けられてきたといえる。

 あまり宣伝を行っていないので観光客などは少ない。しかし、「村」内には、絵も描いた武者小路実篤の小規模な美術館があり、全国から「泊まり込みで来る人もいる」とのことである。農産物を販売する売店もあり、農薬等を使用しないので近隣の常連の人が買いに来ていた。私も有機農法による卵ともちを購入し、帰宅した。
 
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